「ダイヤのエース」「バッテリー」から学ぶ野球の変化①
こんにちは、ユーコミュです。
今回は私の一押しマンガの「ダイヤのエース」を用います。
週刊少年マガジンで連載された「ダイヤのA(エース)」、現在は第二部「ダイヤのA(エース) actⅡ」として連載中です。第一期、第二期共にアニメ化も行われ、今後の続きが待ち遠しい作品です!
概要として、田舎の無名ピッチャー沢村栄純(えいじゅん)が東京の野球強豪校の私立青道(せいどう)高校に入学し、同級生の降谷暁(ふるやさとる)とのエース争いを繰り広げながら、甲子園の先に待つ全国制覇を目指す物語です。
私の各学年の推しは
卒業生部門 結城哲也(青道)
3年生部門 神谷・カルロス・俊樹(稲実)、楊舜臣(明川)、川端雅紀(八弥王子)
2年生部門 轟雷市(薬師)
1年生部門 瀬戸拓馬(青道)
となっております!
キャラクターが多いことで自分の推しが見つかりやすい事もこの物語の良い事ですね!!
さて、この「ダイヤのA」ですが、野球に対する学びと教育に対する学びの両方が与えられます。
今回は野球の歴史から見る学びに着目します。
変化球から見る野球の移り変わり
「ダイヤのA」では現代野球らしく変化球を多く使用しております。
近年様々な変化球が開発され、同じ方向の球種でも曲がり方により名称が異なり、私もゲームやテレビ中継の解説を見ながら学んでいます。
(コロナ渦の為、昨年は実地観戦は1度もありませんでした…(´;ω;`))
しかし、過去の選手を見ると驚くべき事に、変化球の総数が平均的に少ないことが伺えます(参考:プロスピA,パワプロ)。
沢村賞として名を残している沢村栄治氏、400勝を達成した金田正一氏、ストレートは大谷(現エンゼルス)よりも早いと言われる”悲運のエース“江川卓氏。
この3者に共通をしている事が、持ち球がストレートとカーブのみ。
恐ろしく直球の威力があった彼らは、もしかすると長イニングを投げる為、またはタイミングを外すために、肘に負担の少ないカーブを選択したのかもしれませんね。
とはいえ、カミソリシュートの平松政次氏、アンダースローの山田久志氏、マサカリ投法の村田兆治氏の活躍した1970年から1990年にかけての変化球の総数は比較的少なかったように思われます。
要因として、当時はネット技術も今ほど発達しておらず、変化球を知る術が人伝てや本のみであったことが挙げられます。
1996年に発刊されたあさのあつこ氏の「バッテリー」シリーズにも当時大事にされていた事が伺える場面があります。
「中学生のシンカーは身体、特に肘に大きな負担をかけることになる。
半端な変化球を投げる投手が良い投手ではない。」
中学生まで身体作りをしっかりと行うことで、その後の飛躍へと繋げる当時の考え方の象徴とも言うべき言葉です。
この考え方は選手生命を長く保つ為に重要な考え方と思います。
しかし、私が思うに本当に潜在能力の高い選手がプロに登り、もう一つ足りない者への救済がなかったのでは、と感じます。その1要因になり得るのは“変化球”ではないかと私は考察いたします。
2000年を越えるとメジャーから投手が来日し、カットボールやツーシーム等のムービングボール、ナックルカーブやドロップカーブといった従来の変化とは異なる派生型変化球等をNPB選手に享受していきます。
・年齢がベテランの域に達する剛腕投手が直球の衰えを感じ、複雑な軌道の変化球を学ぶことで要所を締める中継ぎ投手に復活した。
・伸び悩む新人投手がムービング系の変化球を覚える事で、1軍マウンドで先発を任されるようになった。
そういった事案も見る事がありました。
選手が活躍できる可能性を広げた”変化球”。
貴方も観戦の際はバックネット裏やテレビ観戦を楽しんでは如何でしょう。
次回は高校野球の指導について共に学んでいきましょう。
それではまた(*^^)v
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